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甲府簡易裁判所 昭和34年(ハ)53号 判決 1960年9月30日

原告 深沢正一郎

被告 国

訴訟代理人 舘忠彦

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し別紙目録記載の山林(以下本件山林という)につき所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因としてつぎのとおり述べた。

(一)  本件山林は訴外服部忠常が所有していたが、同人は明治十年頃跡相続人がないまま死亡した。

(二)  而して当時の法令によると跡相続人のない遺財は直ちに官没することとしているので、本件山林は忠常の死後直ちに官没され、国庫に帰属した。(明治十一年十一月二十六日司法省達丁第四十一号、右達に引用の同年五月十日附内務省から大政官へ伺書第三項「死亡跡相人無之遺材ハ三十六ヶ月ヲ待タズ直チニ官没シ負債アルトキハ償却スル例ニ有之」参照。同趣旨、大正十五年二月八日法曹会決議、法曹五巻六号一一八頁。大審院大正九年(オ)第五五〇号同十年三月八日判決、民録二七巻五〇二頁参照。)

(三)  しかし本件山林は、原告の曽祖父深沢高重が所有の意思を以つて占有していたのであるが、明治二十一年六月一日原告の祖父深沢正一において家督相続により本件山林に対する右高重の占有を承継し、昭和五年十一月二十五日隠居した結果、原告が家督相続するまで、これを占有してきたが、右の占有は平隠且つ公然にして、善意且つ無過失で始めたものであつて、本件山林に対する忠常名義の公祖公課も明治二十一年以来正一が納入してきた。

従つて正一は民法(明治二十九年法律第八十九号)施行の日である明治三十一年七月十六日から十年を経過した明治四十一年七月十六日本件山林の所有権を時効により取得した。

(四)  而して原告は昭和五年十一月二十五日家督相続により右正一の本件山林に対する所有権を取得したものであるから、被告に対し、右所有権の移転登記手続を求める。

被告指定代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、答弁としてつぎのとおり述べた。

(一)  請求原因第一項の事実は不知。

(二)  同第二項の事実は争う。原告は民法施行前、跡相続人のない死亡者の遺財は当時の法令により直ちに官没されるとして、司法省達丁第四十一号に引用の伺書第三項を掲げ、且つこれと同趣旨として大正十五年三月八日法曹会決議大審院大正九年(オ)第五五〇号同十年三月八日判決を引用する。

しかし右「達」の伺書第三項にいうような「死亡跡相続人無之遺財ハ三十六箇月ヲ待タス直チニ官没スル例」を認めるに足る根拠はなく、右の伺に対する回答等に照してみれば、まづ「死亡跡相続人無之」かどうかを一定の手続によつて判断することが先決であるし、又原告の主張自体から訴外服部忠常の死亡時期が確定されていないのであるから本件山林が官没され国庫に帰属したということはできない。なお前掲法曹会決議は明治十七年布告二十号により絶家を擬制した結果の解釈にすぎず、右解釈は明治十一年十一月四日大政官指令(前記司法省達丁第四十一号の内容をなすもの)第二項(「追而法制定迄ハ官没ノ処分ヲ為サス本人帰来セハ其遺財ヲ返附スヘシ」)の趣旨と矛盾しているし、前掲大審院判決は本件と事実関係が異なつているので本件に適用しえない。

(三)  同第三項の事実中、本件山林を深沢高重、深沢正一が占有してきたことは不知、その余は争う。

証拠<省略>、

理由

原告の本訴請求は本件山林の所有者服部忠常は明治十年頃死亡し、同人には相続人がなかつたので、当時の法令により本件山林は国庫に帰属したことを前提として、被告国に対し、その後原告が本件山林の所有権を時効取得したことに基づく右所有権の移転登記手続を求めるにある。ところで民法施行前に開始した相続について、若し「単身戸主死亡又は除籍の日より満六ヶ月以内に跡相続人を届出でないときは絶家したるものと看做」していたが、(明治十七年六月大政官布告第二十号)絶家の財産は絶家と同時に官没される法規又は例規が存在せず、右の財産は五ヶ年間親族又は戸長において保管し、右年限後は親族の協議に任じ然らざるものは官没すべきものとされていた。(大審院大正九年(オ)第五五〇号同十年三月八日判決参照)従つてたとえば絶家後五年を経過した後において、親族間で絶家財産につき協議がなされず又官没もされなかつたとすれば、右財産は民法施行当時無主の財産となつていたというべく、これが不動産であれば民法第二百三十九条第二項により民法施行と同時に国庫の所有に帰したものと認めるのが相当である。しかしながら本件においてこれをみるに、右判示の如き絶家財産の帰すうの前提事実となるべき本件山林の所有者服部忠常は明治十年頃死亡し、同人には相続人がなかつたとの原告主張事実について争いがあるのでこれを検討しなければならないところ、証人小沢百太郎、小泉博茂の各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、服部忠常が本件山林の所在地明野村に在住していたのは明治初期であつたことが認められるので、同人は既に今日死亡していることを推定するに難くはないが、しかし前掲各証拠を含めた本件全証拠によるも、同人の死亡時期が民法施行の前後をいずれにせよ、何時であるかを認めることはできないし、且つ同人の相続人の有無については全くこれを認めるに足りないところである。従つて本件山林はその所有者服部忠常が民法施行前である明治十年頃相続人なく死亡したとの事実を認め難い以上、国庫の所有に帰しているということはできない。

なお本件全証拠によつて顕われている事実から附言すれば、本件山林の所有者服部忠常は民法施行前よりその生死が不分明であり、仮りに死亡しているものとしても、同人に相続人のあることが明かでない状態にあるものといわざるを得ず、民法(明治二十九年法律第八十九号、同三十一年法律第九号)の施行に伴ない民法施行法第十八条あるいは同法第九十二条の適用さるべきことになるといえよう。

叙上説示の事実関係からすれば、原告の本訴請求はその前提を欠いていることになるから爾余の判断をするまでもなく失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 坂詰幸次郎)

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